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  夜7時になっても3時頃と変わらない明るいNYです。夏時間の実感がしてきました。待ち合わせのシェラトンニューヨークに一人で歩いて来ました。なぁーてパークホテルから徒歩3分の所。ロビーで14名の個人参加で少しあぶない世界で聞くJAZZ。正装(ジーパンTシャツは駄目)で時間に間に合わない2人を残して一路ハーレムに。さてハーレムは昔其の名前の通り(楽園)でした.今のように危険な地区になったのは、第一次世界大戦後の不況による貧困差別にあえいだ黒人達が段々北の方に移り当時のハーレムの住人が出て行った後住み着いたのが始まりです。
 
 セントラルパークを右に見て真っ直ぐに進み公園の最後の通りまで一気に進み,ソウル料理(韓国では無いゾ)の店に行く途中あのヒッキィー(ウタダ)通うコロンビア大学を右奥に見て125通りまで進み、アポロシアター、マジックストアー(マジック・ジョンソン経営)の前を通り、(入り口にコンクリート、板でを打ち付けたビル、放火後)の生々しい世情を見る見つけ、人種差別による心のすさみ、人身の中のパワー。見事なミュージック(JAZZ・ゴスペル)の黒人文化を開花させ、今では、黒人パワー無しでは考えられない。  
   シルビアさんの名前を店の名前にしたソウル料理の店につき下車して急いでパチリ。この彼女は南部出身の黒人女性。16歳にNYに出てきて、ウエイトレスをしながら、身を興したと言う人。此来ていた人たちは、裕福な方達で、家族、友人、との食事を楽しんでいました。 さて旅の楽しみの一つは食事。初めてのディナーは、はて サテ??のコースでした。パン魚、肉、温野菜、とフルコースの料理でしたが、小食のkitty姉はただ目を見張るばかりでした。
 この店の壁には、先の大統領クリントン、ニューヨーク市長、キング牧師等が来店時に写した写真や、黒人アーチスト達の写真が所狭しと貼ってあり、でも観光客としての我々以外は、在住の方達で、家族、友人と、食事を楽しみ、会話に華が咲きと、日本の何処にでも見られる幸せの一時を、共有でき楽しい夕食でした。(ソウル料理とは奴隷制度の時代の生きてゆく為の、生活の知恵から生まれた、お袋の味、つまり家族で一つのお皿に大盛してだす)
昔は芋の煮転がし(今風肉じゃが、ちょっと贅沢)天ぷら(野菜が多い、海老とか魚類はほとんど無し)の時代を思い出しながら、西洋のお袋の料理に、今の自分に幸せを感じたのでした。
 


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